新しい古書店の胎動

2003年9月の「新文化」に掲載された最近の古書店の動向に関するレポートです。長さを調整したため、掲載文章とは多少異なっています。

若者による開業-店主の好みによる品揃え-価値の創造(古本屋の錬金術)

ここ数年、二十代から三十代前半の若者が古本屋を開業する例が目立っている。カフェや雑貨店と同じく、必ずしも高収入にはつながらなくても、自己表現しつつ営業できる業種と認識されはじめている。しかも、古書店は比較的小資本で開業できる。やりようによっては、結婚資金ていどの投資で「自分のお店を持つ」という夢がかなえられるのだ。

それらのお店の共通の特徴は、店主の好みによって、品揃えがなされているということだ。もちろん、広大な書物の世界に比べて、古書店の売り場はきわめて狭小だ。ほんの一部の古書しか置けないいじょう、今までの古書店にも店主の好みが反映しなかったはずはない。しかし、それは一般的な学問の分野や、歴史的地理的な相違に基づくジャンルわけを行ったうえでのことだ。たとえば東洋思想とか江戸文学とかいったような既存の分野に沿った分類をした上で、最終的に店主の好みが反映されてくるという形である。

ジャンルによる分類が言わば外から与えられる客観的な枠組みなのに対し、これら新しい店主たちは、自分のセンスに基礎を置いてジャンルにこだわらず、主観的な価値観で商品の選定や値付けを行っている。よく「サブカルチャー系古書店」というような言い方がなされるが、サブカルチャー‐メインカルチャーというような分野よりも、その本自体がセンスに合うかどうかによって評価することで、既存の枠組みを乗り越えようとしているのだ。

既存のものさしが使えないので、読んで内容を判断するしかない。少なくともメインとなる品揃えに関しては、ほとんどに目を通していると思われる。だから、置いている本に関してはきわめて詳しいのであるが、反面、扱い品目をあまり多くすることができない。若者たちのが開業する店の多くが、大規模化の趨勢に反して小面積なのは、開業資金の不足というような外的な要因ばかりではなく、そういった商店としての核心にかかわる事情もあるようだ。売り場の使い方も、所狭しと圧縮陳列するような所はない。壁面だけを書棚にして、中の空間はお客さんがくつろいで「座り読み」するためのスペースにしているところさえある。商品量を抑えて、充分にセレクトされたものだけを棚に並べている場合が多い。

このようにして、店主の統一された価値観によって選択された商品は、メーカー側が予期しなかった新たな価値を身につけてゆくことがある。親の世代が古臭いと感じるものが、子の世代ではかえって新鮮かもしれない。戦後すぐの貧しいファッション誌を現代のインテリや雑誌と並べておくことで、誰も見向きもしなかったものに値段が付けられるようになる。ごみとして捨てられていた古雑誌が突然輝きを放つのだ。意味のなかったものに価値を与えて商品にするという、まさに古書店の錬金術である。

独自の価値観による店作りといっても、まったく個人的なものではなく、ある程度共感を得るものでなければ商売にならない。品揃えを気に入ってくれて、値付けに納得してくれる人が、お客さんになるのだから。そういう意味で人の共感を得られる趣味のよさがこういった店の鍵になる。また、お客さんからのフィードバックが、店主をさらに鍛えてゆくし、別のお客さんとの出会いの場ともなりうる。趣味を共有するもの同士のサロンのような役割も果たしつつある。そこに集まるお客さんにとって、気に入った古書店は、ラジオDJが音楽の水先案内となるように、読書の道標となる。古本屋は広大な書物の海にともった小さな灯台なのである。

新しい古本屋のメッカ 西荻窪

西荻窪では10年ほど前から若い世代(二十代から三十代)による古書店の開業が相次いでいる。また、オンライン古書店が一時的にリアル店舗を開いたり、古書店内での朗読会などのイベントや、隣接する荻窪・吉祥寺と共同で古本散歩マップを作るなど、地域活動も活発である。

地域の活動をまとめているのが、やはり若い店主である古書興居島屋さんだ。来年の春には一般の人も参加できる古書オークションや、古書店をたくさん回ると何かいいことがあるらしいスタンプラリーも計画しているという。神田や早稲田に次ぐ古書の新しい中心地としてオニ吉(荻窪・西荻窪・吉祥寺を合わせた造語)を育てたい、とがんばってる。

西荻窪に限らないことだが、最近開業する古書店の多くは内装に気を使っているところが多い。スチールの本棚をむき出しで使っているところはまれで、床や照明とともに統一されたデザインで設計をしている。新刊書店や既存の古書店ではほとんど見かけなかった間接照明なども多用されている。これは商品である本を効果的にディスプレするための工夫だが、女性相手にファッショナブルな小物を扱う雑貨店のような印象である。

現在西荻周辺には20軒近い古書店があるが、20年以上前からやっているのは盛林堂、天心堂、森田書店の老舗三軒くらいで、あとはほとんどがここ十年以内の店だ。自然関連の本を扱う店。絶版漫画に特化した店、現代思想の店、それほど大きな町でもない西荻窪にこれだけの古書店が集まって共存しているのは、それぞれが個性的な営業をしているからに他ならない。

4年前から営業している「音羽館」は最も西荻的な古本屋だ。フローリングの床にゆったりとした棚配置、二部屋に分かれた店内の片方には椅子も置かれている。クラシックを中心としたCDも取り扱っていて、芸能書を中心とした趣味性の高い品揃えで人気を集めている。落ち着いた雰囲気は外の喧騒からは想像できないほど。薫り高い珈琲をどうぞというような気分になる。

新しい古書店が成功している背景

こういう店が台頭してきた背景には、新古書店と呼ばれるようなリサイクル型の古書店の発生があるだろう。

二十年前、古書店は大量出版時代に対応できずに、時代に乗り遅れつつあった。そのころ、現在はインターネット書店に特化した感のある高原書店、チェーン展開で業界を席捲しているブックオフ、組織販売であらゆるサブカルチャーを飲み込もうとした伊藤グループ、それぞれが町田・相模原・八王子という隣接した地域に発生したのは多分偶然ではない。当時、大量出版時代に対応する古書店として、彼らを代表とするような「新しい古書店」が考えたのは当然のように売り場面積の拡大であった。

しかし、拡大する売り場面積のほとんどは実際にはいわゆる一般書で埋め尽くされてしまった。販売量で見れば、一般書は大きな部分を占める。だが、本の種類で考えれば、ほとんどの品物は専門書であるはずだ。二割の一般書が八割の売上を占める。それが出版流通界の現状だろう。新刊書店では、どんな専門書をどれだけ置くかが店の存在感となる。売れた品物をリサイクルする古書店では、当然、八割の一般書がそのまま八割の売り場を占めることになってしまう。そうして、大型古書店のほとんどは「一般書の専門店」となってゆく運命にあった。それに逆らうためには、巷にあふれる本を内容で選別する「目利き」が必要だ。しかし、大型化した古書店では店主の個人的な経験と勘による目利きを当てにするには流通のスピードが速くなりすぎていた。特にいわゆる新古書店にあっては、積極的に一般書の専門店たることを引き受けるのが成功の鍵となったのだ。

大型化する古書店が一般書分野をテリトリーとしたことによって、一方で、個人営業の書店は大型書店が扱わない八割の専門書を自由に扱う可能性ができた。しかも、チェーン店化した無個性な店舗形態に対して、個人の人格を前面に出すことによって、書店としてまったく新鮮な営業形態を作り出すことに成功したのである。

書店は戦後の早い段階から、対面販売を捨て去り陳列販売を実践してきた。すなわち、接客によってではなく、商品の陳列を工夫することによって販売する方法をとってきたのだ。これは、当時としては、画期的な販売方法だったが、スーパーマーケットに受け継がれて、現在では主流の販売方法である。接客が重要な商品である衣料品においても、たとえばユニクロなどが陳列販売の方法をとっている。陳列販売はコンビニエンス・ストアーにおい徹底した商品管理で最高に洗練された形態をとっているが、リサイクル型古書店においてはまったく銘柄管理をしないという逆説的な方法で、第二の究極形態を作ろうとしている。

新しい古書店では、多くの顧客が店主との対話を求めている。本自体の魅力だけではなく、書店自体がメディアとして人と情報の結節点となることが求められている。文化を伝える道具としての本を中心として、人と人が出会う場所として本屋という空間が利用されているのである。今回の取材で、いろいろな古書店を回る中で、「エンターテインメント空間」という言葉を何度も聴いた。たとえば、十年以上輸入写真集を黙々と扱って来た某書店は本の値段をドルで表示している。しかも、そのレートは毎日変わるのだ。わずかとはいえ、買う日によって損をしたり得をしたりする。そうすることによって、買い物にゲーム性や賭博性を持たせているのだ。このちょっとした遊びが、コミュニケーションを生み出すきっかけとなる。

その他の地域の古書店

新開業で成功している店の多くは、多かれ少なかれ品揃えの一部に「見る本」を据えている。中身は読み物であってもデザインのよい本、中身ごとアートの本、建築やインテリアの本、そういったものを扱わないところはまずないだろう。

特に「ヴィジュアル的に優れた本」を扱い品の中心としているのは、大岡山から南青山に移って、ジュエリーやアクセサリーのショップと並んで営業している日月堂だ。店主が直接ヨーロッパなどにも買い付けに行って、古今東西の美しい本を集める。何の変哲もないかに思えた本が、はさまれたイラスト一ページで、広告業出身の店主の手にかかると時代の息吹を伝える美術古書に変身してしまうから不思議だ。

新しい古書店のこれからの地域 中目黒

西荻に続いて、新規古書店のラッシュとなりそうなのが、中目黒である。特に松浦弥太郎氏のカウ・ブックスは電光掲示板をぐるりに配した店内がすごい。最近カフェにはたいてい美術書などがインテリア風においてあるが、古本屋というよりもむしろ本がたくさん置いてあるカフェに近い。ステンレスを使った無機的な内装に、ゆったりと本が並べられていて、在庫の一部だけをセレクトして出してる。

既存の店の新しい試み

既存の古本屋も手をこまねいているわけではない。

既存店でも店主の世代交代とともに当たらし試みが始まっている。だんだんに本が増えてゆく時代に商売を拡張してきた親の世代に代わって、高度成長期以降に生まれた店主が、店の経営を受け継ぎつつある。彼らは、闇雲に多くの本を並べるのではなく、コントロールされた意志に基づく店作りを進めている。

たとえば、早稲田の老舗五十嵐書店は先ごろ店を改装して、はっきりと「本のセレクトショップ」を標榜し、引き算の棚作りを目指してる。つまり、あるものすべてを並べるのではなく、そこから意図的に何かを引いてゆくことで、棚の意味を語りかけようとしているのである。

渋谷古書センターは店の一部を「フライング・ブックス」として独立させて、アメリカ六十年代のカウンターカルチャーとそれに影響された文化の本をテーマとして扱っている。時には、可動式の棚が端に寄せられて、店内はイベント空間となるのである。

この二人は神田の稀覯本専門店玉英堂と共同して< the 60’sトーキョー・アングラ・シーンの夜明け>と銘打った目録を発行した。これも、従来の古書目録のように本をただ並べるのではなく、長期にわたって収集した本を、カルチャーマップを作るように編集して解説と図版を折りませながら、60年代東京の断面を再現しようという試みである。

従来型の古書店という言い方がされる。しかし、古書店の営業形態はさまざまである。東京古書組合も「東京の古本屋」という調査の中で、その分析を試みた。しかし、いくつかの典型的なパターンを分類したにとどまり、営業方法の全貌をつかむには至っていない。リサイクル型古書店が、マニュアル化を推し進めたため、経営方法が収斂されていきつつあるのにくらべ、零細な企業の集まりである既存の古書店は、思い思いの経営をしてきたといってよい。

古書業界は本を再評価するシステムである。

しかし業界全体としては、長期的な視野に立って、その時代時代ごとに本の価値を見出し、その価値ある本を再び世の中に還元していくことを使命としてきた。いつでも、その時代にたって書物の再評価を行ってきたのだ。また、業界には評価する人のところに本を流通させる市場システムがある。

若い世代によって、新たな本の価値が見出されているとすれば、そして、店主だけの独りよがりではなく、商売として成り立ってゆくのならば、それは時代が本の再評価を求めているのである。